
塩梅という言葉がある。これは、昔料理の味を決めるのに塩加減と酢の加減でおいしさがきまるということを表しているが、転じて人間関係における配慮という意味にも転化して使われるようになったそうだ。
人間関係の中で塩梅というものが重要であることは言うまでもない。しかしこの塩梅というものが、昨今大変難しく感じてくる。というのは、人が多様化して一義的な塩梅では成り立たなくなってきたからだ。
そこで、本来の塩梅という面から考えを進めてみると、名人の料理とはたゆまぬ努力と経験を積み重ね、ベーシックだけどオリジナリティを持った上品さを持っているものだと思う。さらに、常に均一の味が出せることが絶対条件であることがプロの仕事である。名人はその上にゲストの様子を見て、本当にその人が好む味に微調整する。人間は日々変化する。だからこそ、そのときそのときに合ったように微調整を繰り返すのである。そうやって考えると塩梅というのは、本当に奥深く難しい。ありのままをやっても足りないし、常にオリジナリティを求めないといけないし、さらにその場その場で微調整しなければならない。それを全部ひっくるめて調和させてこそ、名人の塩梅というのであろう。
その塩梅も食べてくれる人がいて、本物になる。ということは、塩梅というのは一方的ではなく、提供する人も提供される人も共に参加して本当の塩梅が生まれるということになる。とすると、味に注文をしてくるゲストは、本来大切な塩梅のひとつなのかもしれない。
人間社会にもそれと同じことがいえる。人間関係の中で塩梅をはかり、施すことは本当に難しい。結局塩梅に答えは無いのだ。それは人が経験から掴んで施し、失敗を繰り返しながら学ぶしかないのかもしれない。そういう寛容な時間と態度と真摯な態度が、真の塩梅を生み出すのだと思う。
投稿者 nemo : 午前 1:29 | ミーム